20180309

「ブロックチェーン・レボリューション」 ドン・タプスコット/アレックス・タプスコット 著

 

<概要>

  ビットコインの中心技術「ブロックチェーン」は金融だけのための技術ではない。全取引に関わる情報がネットワーク上に分散して蓄積されることはセキュリティや公正さなどを担保するから,その技術の適用・転用・応用は,世界を変える可能性すらある。だから,技術面での課題解決はもちろん,「どこまでどう使うのか?」という社会的なコンセンサスを得ることが最大の課題となる。

 

 

<ひと言コメント>

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い,という発想をやめる,「分解して」本質をつかむ

 

ブロックチェーンは,仮想通貨を実現するための中核技術です。そのため,仮想通貨とブロックチェーンはセットで語られることが多いのも事実でした。しかし現在ではその有用性が認められ,ポイントサービス・不動産取引・食品管理・農業生産地管理などなど,「履歴管理するもの」について,幅広くその応用が始まっています。何と言っても衆人監視の技術ですから,誰かが不正を働いても,それ自体が記録されるという点で,非常に優れた技術だ,と言えるでしょう。

 

それでも,使い方を間違えればエライことになってしまう,というのは,仮想通貨の巨額流出事件が表しています。あまり使われなくなった言葉に「馬鹿と鋏は使いよう」というものがあります。差別的な要素を含む言葉なので,あまり使いたくはないのですが,巨額流出事件の本質を表しているように思います。技術には,スコープというものがあり,必然的に限界があるのですから。

 

 しくみや制度,法律,データなども,基本的には同じこと。使い方を間違えればおかしなことになります。ただ,間違わずに使うこと,は,非常に難しい。「運用が大切」,「監査・監視・監督が必要」と言われる所以です。とすると,考えることなく鵜呑みにするのではなく,「事の本質(≒限界)を自分の中で腹落ちさせること」,そして,研究の世界では当然とされている(はずなんですけどねえ・・・本当は・・・)「出元にあたること」などを意識して,判断し,行動すること,が必要になるでしょう。全体像が漠然としているのなら,分解して理解する・・・。

とはいえ,これも一人でやるには限界があります。だから,本当に信用できる方と役割分担して進めることが重要になる,ということなのではないか,と思います


20180302

「命売ります」 三島 由紀夫 著

 

<概要>

 自殺を図るも失敗し,「命を売る」ビジネスを始めた男の物語

「一流サラリーマンだった羽仁男。ある日,読んでいた新聞の文字がゴキブリのように散らばる様子を見て,生きる意味を失い自殺を図るも失敗。「命売ります」という広告を出しビジネスを始める。数々の依頼を受けるも,自分は死ねず,報酬が貯まる。命を売るビジネスをしばし休もうとしたところ,ある女に出会い,その女が貸し出していた部屋に住むことに。実はその女は,一緒に死ねる人間として,羽仁男を探していたのだった。女から逃げる羽仁男。すると今度は,最初の依頼主の関係者につけ狙われることに。警察に保護を依頼しても,起きた話を信じてもらえず,警察署から放り出されてしまう」

 

 

<ひと言コメント>

 「コト売り」「成果売り」を,命を売ることにならないように・・・

 

 これまで私は小説というものがどうもニガテで(好きではなかった・・・),高校時代の国語の成績も,小説の出来次第。偏差値が50台から70台まで,乱高下していたような状況でした。要は,はまれば取れるけど,外すときは大外し。ある仲の良い方が,私を「冷徹人間」と称しておりましたが(そんなことないのに・・・苦笑),どうもあの心情読み取りといったようなものに,納得のいかないものがあったのです。

ところが最近になって,「小説の(ある)読み方」を学び,少なくとも一部の小説が,俄然面白く感じられるようになってきました。その読み方とは,「小説には,その小説が表面上言っていること,と,その小説が暗に表現していることとがあるから,それを読め」というもの。みなさんにとっては当たり前,でしたか?

 

 私はこの小説を,その表面上は「命を売り始めたら,怖いものがなくなり成功した。しかし,死を売る人と出会ってしまい,死の買い手となってしまう。すると急に恐怖を感じるようになり,でも誰にも守ってもらえず・・・」というストーリーとして読みました。そして,「命を売る」ということは,「(金銭を得るために)働く」ということに置き換えて読むことができる,と感じたわけです。「そうならないように!」という,三島氏のメッセージとして読んだ。だから,ここでご紹介しているのですが・・・。

 

 ただ,この三島作品は,他にも多くの読み方ができると感じます。

とはいえ,その解説で書かれている「三島氏の死生観の表れ」というものは,私にはピンと来ず。むしろ,三島氏のその前後の行動を見たとき,自衛隊の在り方への疑問,日本という国の在り方への疑問を表し,また,経済至上主義への疑問を表しているように思うのです。ここには,戦前・戦後の時代の違い,価値観の違い,が描かれている。第二次世界大戦で,日本軍は日本のために戦った,とされていますが,今(小説が書かれた当時)は,アメリカに魂を売っているのでは? という問いかけなのかな,というような意味です。

 

 まあ,小説は,自分の好きなように読めばよいのでしょうし,好きなように解釈すればよいのでしょうが(笑)


20180223

「SFA・CRM」 早川 圭一 著

 

<概要>

SFA・CRM導入の成功のポイントと成功している企業の共通点。重要なのはITではなく人間側の支援(=企業文化)

「営業全般の支援ツールであるSFAと,顧客との関係づくりの支援ツールであるCRMは,PDCA型マネジメントのツールである。よって,導入の本質は,マネジメントのしくみの変革を通じて,行動・意識の変革と,企業文化の変革を行い,売上・利益の最大化を図ることにある。俗人化をしてはいけいない領域での俗人化の排除や,報告などへのリソースの使いすぎを省くことで,生産性向上につなぐことにある。SFAやCRMの導入に成功する企業は,この本質が理解され,PDCAのサイクルが回っている。PDCAを回すために必要な情報を,必要な人が,必要なときに,必要な分だけ,入手するためできること,が,IT化のポイントであり,活用ストーリーとマネジメントストーリーが必要になる。

SFAやCRM導入成功のポイントは,PJの成果を導入に置かないこと。主たる利用先である営業部隊が中心となること。コア組織で,成功への流れをつくり出すことが最も重要。人が不安を感じているときが変革のチャンスであり,パワーバランスも踏まえた感情面のサポートも重要になる」

 

 

<ひと言コメント>

 生産性の向上 = PDCA = ツール・しくみとしてのSFA・CRM

 

ビジネスパーソンの方で,SFA(Sales Force Automation)やCRM(Customer Relationship Management)をご存知ない,という方は,むしろ少数派かもしれません。ただ,それが,「結局はPDCAをまわすことで,生産性を向上させることでしょ?」と,端的に答えられる方,は,意外に少ないかもしれません。

 

 私は,IT関連の仕事も多く経験してきていますが,商品に関連する処理・運用のシステムは,実は切羽詰まった状況から企画が出されることが多く,導入しやすい面があります。極端な例では,「もう,手ではやれません」というもの。当然,ある意味「自然と」PDCAは回ります。

 

一方,営業にまつわるシステム導入の難しいところは,「私たちは,これで売ってきた。(だから,このままでいい,はず。。。)」という意識が,一人ひとりに一定程度ある,という点です。でもそれでは生産性を上げていけない。場当たり的になる。

 

当然のことながらそのような問題意識を持つ方はいらっしゃいます。それでも,特に書面ベースで「ITシステムを導入すること」を目的としているプロジェクトのことは,徹底的にいじめて(?)来ました。「それを導入して,何をしたいの?」と(ある方が,「私には100万回,<で,何したいの?>と言われ続けた」と言ってましたが,多少?誇張はありますが,事実です・・・苦笑)。そして,何度でも書き直しをさせました。書面が一人歩きすることにもケアしつつ,何か問われたときに,間違っても「システムの導入をしたいのだ」と,担当者に言わせないために,言わないようになるためのケアをした。つまり,それぐらい,重要なのです。「何したいの?」は。

 

そして,もちろん言います。「導入した後のしくみ,ちゃんと維持して,運用(=小さいことでいいから,改善のサイクルを回すことが)できるよね?」 それが,PDCAというものだと,私は思いますし,それを導入するということだ,とも思っています。


20180216

「ヴェニスの商人」 シェイクスピア 著

 

<概要>

 

中世ローマを舞台にした,取引,裁判,と恋の喜劇

「バサーニオは,富豪の娘であるポーシアに求婚するため友人のアントーニオに借金を申し込む。アントーニオは,持ち合わせの金がなく,<期日までに返済できなければ胸の肉1ポンドを与える>との条件で,ユダヤ人の金貸しシャイロックから金を借りる。期日を迎えるも,アントーニオは返済できず,シャイロックは裁判所に訴え,契約履行を迫る。その裁判で,法学者に変装したポーシアが,肉を切り取っても血を流してはならないという裁きを下す。シャイロックは,返済金を受け取ることもできず,また,アントーニオの命を奪おうとした罪により全財産を没収される」

 

 

<ひと言コメント>

 当たり前と言われていることに対し,当たり前に疑問を持てる力

 

 

本著は古典的名作に位置づけられていることもあり,名作足りえた当時のローマの社会背景や,その解釈,ちょっとした矛盾についてなど,多くの研究がなされています。よって,多くの方が,その批判や議論なども耳にされていたり,あるいは,実際に議論されたりしているかもしれません。そのような批判や議論の主なものは,ユダヤ人に対する偏見やステレオタイプ,法律や契約制度という視点からの問題点といったこと,そして,当時のローマ社会という歴史的な背景などでしょう。

 

私が注目するのは,大衆の声・反応,というものの持つ,理不尽なくらい強烈なパワー,です。想像するに,この物語に共感した一部の方がまずいて,その方たちから「そのこと」を聞いた方々が受け取り,それを一般の方々が「そういうものなんだ」と安心し受け止めた,という構図があったのだろう,と。

 

私たちはこの威力に,無自覚な場合が多いのではないか,と思います。つまり,大衆のパワーは,当たり前,を生む,ということです。しかし,それは本当に当たり前なのでしょうか?

私たちは「当たり前」や「普通」と言われていることに対する疑問を,それこそ当たり前に働かせることができるだけの直感力や想像力を磨く必要があるのではないか,と思うのです。なぜなら,ヴェニスの商人における批判や議論に相当することは,今の世の中にも,これも当たり前に転がっていると思われるから,です。


20180209

「人工知能は人間を超えるか」 松尾 豊 著

 

<概要>

 人工知能の研究・発展レベルとその課題解決の歴史。将来の社会や産業へ及ぼしうる影響

「人工知能とは,人間のように考えるコンピュータ。研究は古くから試みられてきたもの,で,知能が電気回路であることを考えれば,原理的には実現できるもの。だが,現段階で完成してはいない。

 現在,研究アプローチはディープラーニングが主流で,それは,人間の脳のニューロンによるON/OFF処理土台にしたニューラルネットワークと,情報圧縮技術によって学習を多層化させることで,学習能力を高めるものである。画像解析から,動画や音声,言語等に研究領域が拡大していっている。結果,広告,パーソナルロボットやセキュリティ,交通・物流・農業,家事・医療・コールセンター,通訳・翻訳,教育へ,と,AIの実用化が始まっており,さらに拡大していくと予想されている。

 なくなる仕事も多くあるため,人間に大きな影響を与えるのは間違いない。一方で,新たに進展する領域も出てくるとも言えるので,それを見越して,将来設計していくことが必要になる」

 

 

<ひと言コメント>

 AI時代の教育の一つの役割,

 それは,AIを使う・使っている立場であることを忘れさせないこと

 

 

 新聞報道や,各種メディアで,AIという文字を見ない日は恐らくないのではないでしょうか? つまり,AIは実用化フェーズに入っている,ということでもあると同時に,そのスピードは,相当はやい,ということでもあるでしょう。

 

 一方で,AI=人口知能,が,人間を超えるか? というタイトルへの答えで言えば,「超える部分もあれば,超えない部分もある」ということができるのではないか? と思います。と言うよりは,ライオン,イヌ,ネコ・・・のように,あるいは,鉄,石油,水・・・のように,ある特定の性質を持った「種」として,人間が作ったものがAIであり,それぞれに特徴があるように,AIにも人間より優れているところもあれば,劣っているところもある,という見方をした方がわかりやすいように思います。もっと言ってしまえば,使いようだ,と。

 

 とはいえ,使う人,と,使われる人,は,出てくるかもしれません。ここで言う,「使う」とは,「判断・決断」と,ほぼ同じような意味合いで用いていますが。つまり,AIの判断に従って動くか,AIのアドバイスを使って自分が判断して動くか,ということ。当然私は後者を取ります。仮にAIの判断を自動的に採用するとしても,それは,AIの判断を自動的に採用する判断を自分がした,とする立場に身を置きます。ただ,それを忘れずにいられるか? 忘れさせないよう,それを伝え続けるのが,教育の一つの役割でもある,と私は考えています。


20180202

「南洲翁遺訓」 西郷 隆盛 著

 

<概要>

 敵対関係にあった庄内藩の元臣民が,学び,伝承しようとした西郷隆盛の思想哲学

「人為ではない天道を全うする,ということが最も重要なことである。つまり,道理に従えば,結果,もっとも早く目的を達成することができる。政治とは民に対する誠であり,民を裏切れば国と民のダマしあいになり,民は利益追求しかしなくなる。つまり,<私>を排除して,歳入範囲で,民のために,1教育・2(安全のための)軍備・3農支援(=産業支援),を行うことだ。誰しもが何かをできる能力を持っているのだから,やりたい人・できる人にしてもらうことが一番。厄災はつきものなのだから,それを楽しめるだけの心と力が必要で,知識と才能だけで成功するものではない。特にリーダーは,自分は完全無欠ではない,との自覚を持ち,爽快・ゆったりとした君子の心を持ち,人のアドバイスを素直に聞き,政治を行うことが重要だ」

 

 

<ひと言コメント>

 想いを実現する,ということ

 

 本書は,「遺訓」とあるよう,西郷隆盛の言葉を,敵対関係にあった庄内藩の元臣民が学び,その元臣民の中で伝承しようとしたものです。西郷隆盛自身がこの書を遺したわけではないので,自身の想いを伝承しようとしたわけではない,というのが1つのポイントです。それがこの書の凄みであり,西郷隆盛という人の凄みでもある,と思います。

 さらにもう1点,重要なのは,西郷隆盛の哲学が,「見えるカタチになっている」いうことでしょう。

「あなたは何のために生きるのか?」という問いに対する心構え,は,非常に抽象的でもあり,ある意味わかりにくく,よってはかないもの,と言えるでしょう。まして,その思想・哲学を後世に伝承していくには,「カタチになっていないと受け継ぐことができない」。そのような自覚が庄内藩の元臣民の方々にあった,ということなのではないかと思います。つまり,「どんなに優れた思想・哲学であっても,カタチに残しておかないと風化してしまう,安きに流れる」ということでしょう。

 それは,世代間だけの話ではなく,組織や個人の中でも同じだ,と言えるように思います。個人の夢や生きる意味といったものも,日々の暮らしの中で同じように風化してしまう可能性がある。そう受け入れることが,自分は完全無欠ではないということの自覚の一歩である,ととらえることもできそうです。そして,そのような自覚をするのであれば,何らかのカタチで,自分が本当に目指すもの,天命と思えるものを,目に見える状態にしておくこと,は,非常に重要なように思います。


20180126

「戦争プロパガンダ 10の法則」 アンヌ・モレリ著

 

<概要>

 自国の戦闘を正当化し世の中を誘導するプロパガンダに共通する10の法則。(その法則)を知り,自国の正当性を「疑う」ことが「監視の役割」を果たす第一歩となる。 

「<1われわれは戦争をしたくない><2しかし敵側が一方的に戦争を望んだ>ことを訴え,<3敵の指導者は悪魔のような人間だ>と信じ込ませる。<4われわれは偉大な使命のために戦う>必要があり,<5犠牲を出すこともある>が,それは<6敵は卑劣な行為を用いているから>なのだ。とはいえ<7受けた被害は小さく,敵に甚大な被害を与えている><8芸術家や知識人たちも正義の戦いを支持>しており,<9我々の大義は神聖なもの>だから,<10この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である>」

 

 

<ひと言コメント>

 惑わそうとする側の策,ポイントは敵の作り方

 

 以前にもご紹介している一冊です。しかし,ある方向へ,ある方向へと誘導しようとする側の思惑を理解するには,くり返しの学びが必要だと思います。戦争におけるプロパガンダは,もっとも典型的で,学びやすい素材だ,と思いますし,何度でも頭に入れ,日々のさまざまな情報との出会いや,人々とのちょっとしたやり取りなどの中ででも,くり返し当てはめて考えてみたいもの,でもあります。ただポイントとなるのは,誰を敵と想定するかだけ,かもしれません。

 

 以下では,例として,トランプ大統領の「メディア」に対する主張を10の法則に当てはめてみました。ただし,これは,トランプ大統領が対メディアでプロパガンダを張っているとしたら,ですので,誤解なきよう・・・(苦笑)

 

「私はメディアを非難したいわけではない。しかし,その一部は一方的にフェイクニュースを流すのだ。彼らはそうやって世論を誘導し,甘い蜜を吸ってきた人間たちだ。

 我々は,偉大なアメリカを取り戻すために立ち上がる必要がある。もちろん,仲間だった者が離職に追い込まれているのは事実だ。しかしそれは,一部のメディアがほんの些細なことを局所的に取り上げ,さも大問題であるかのように攻撃してくるからなのだ。とはいえ,我々はそれほど被害を受けているわけではない。力を持った人材の宝庫でもあるからだ。

 一方で,見てみよ,メディアの連中ときたら,売上部数は激減するは,視聴率はどんどん下がるわ,だ。私の多くの支援者を見よ。君たちだけではない! 本当の知識人やアーティストたちが,私の支持者だ!

 もう一度言う,私たちがすべきは,偉大なアメリカを取り戻すことであり,それこそが,神の思し召しではないのか? そうだ,この正義に疑問を投げかける者は,当然裏切りものだ!」


20180119

「秘密とウソと報道」 日垣 隆 著

 

<概要>

 ナゼ社説はつまらない? ナゼ新聞社は偉そう? 情報源の秘匿って? ナゼ誤報する? などの素朴な疑問を出発点に,多くの事例から秘密・ウソ・報道について筆者が考えたこと。

「今のメディアは,本質,つまり,読者の本当に知りたいことを伝えていないのではないか? かつて新聞は,週刊誌のゴシップネタのようなものも扱っていた。今,その記事は,秘密暴露・広報・データベースの積み上げで98%が構成されている。そして,「・・・という」ばかりの記事で,警察等の発表をママ垂れ流しているだけ。本質に迫れていないのだ。情報源の秘匿は,情報源を守るためのものだが,自分を守るために使っている記者が少なくないし,そもそも発表垂れ流しの記事ばかりでは,秘密がどう,というレベルと言えない。スクープにあたるようなものに,知る権利を振りかざした強引なものが多いのも,メディアの劣化にあらわれている。 そうして,誤報が生まれる環境がつくられていく。誤報の典型は,空想虚言というウソから生まれるもの。ジャーナリズムはウラ取りとの戦いでもあるが,特定のものを守るためのウソ,世論を誤らせるウソをどう見破るか,が,メディアの役割とも言える。とすれば,メディアによる「ねつ造というウソ」による名誉棄損は,高額化するのが当然。ウソを暴くという正義に根差したものであるとき,ジャーナリズムというものが認めるに値するものになるのではないか」

 

 

<ひと言コメント>

 ジャーナリズム,という名の・・・

 

 ジャーナリズムというものを語れるほど,私はジャーナリズムを知っているわけではありません。本当に真摯に,ジャーナリズムに向き合っている方々は,新聞・雑誌・本・WEB・・・といった媒体によらず,また,規模の大小によらず,たくさんいらっしゃると思います。一方で,その記事を出すことによって,何の意味があるのか,どこに向かわせようとしているのか,まったくわからないものが多いのも事実でしょう。少し極論ですが,たとえば不正に関わるような問題について,「不正はけしからん」と言ったところで,その原因がどこにあり,その後どうしていきたい,というものがなければ,何の意味もないのでは? 誰かの不正を掘り出したとしても,違う人が不正をするようになるだけで・・・。

 ジャーナリズムというものは,教育なのでは? と私は考えています。基本的にはある一説に過ぎない記事の中で,その情報をどうとらえ,考えるのか,という問題提起をするもの。だから,裏取りというものが必要なのだ,と。しかし,そうであるなら,推論であっても本来は十分記事になる,とも思うのです。ただし,推論としてきっちりものを書く。そうすれば,知的に面白いものは,まだまだ作れるだろう,と思うのです。

 ただ,今の新聞,「誰かが広報した話の受け売りが多い」とする筆者の指摘するように,「<●●という>,<●●と関係者が語った>」というような記事,確かに多いです。。。


20180112

「決断力」 羽生 善治 著

 

<概要>

 将棋という自分との孤独な戦いの場で,追い込まれ,乗り越え,飛躍してきた第一人者による,勝負と関わり続けるために必要な力や視点。

「1.勝負には流れがある,それがつかめるかが勝敗の分かれ目。

 2.プロの棋士でも10手先までは読めないから。大局観と勝負所をつかむ感性とのバランスを持った決断力が重要になる。

 3.決断には集中力が必要で,それは自分の調子の把握から始まるものでもある。時に相手に委ねることで集中力を高められるというのは,将棋ならではの面がある。

 4.将棋の研究が飛躍的に進んだ今,まず捨てることから考える。捨てる力をつけるには,事前に現場で同じ過程と同じ時間を共有すること。それが決断力につながる。

 5.勝つこと以上にプロであり続けること。そのために,持続できること,実力を持続することが重要だ」

 

 

<ひと言コメント>

 その道の第一人者の考え方

 

 複数のトピックを1冊にまとめたタイプの書です(たぶん,ご本人が,ご本人の言葉で直接書いたわけではなく,ご本人が語られたことを,少しずつ編集者がまとめた・・・)。なので,サマライズするのが非常に難しい・・・(苦笑)。上記のサマリは,章立てはそのままです(表現や焦点の当て方は変えています)。

 というような事情から,以下では,私の理解,でまとめなおします。

 「勝負事の世界,は,勝つことが重要であり,仕事である。しかし,それ以上に続けていけるのがプロ,というもの。すると,どうしてもある程度のリスクは承知の上で,それまでの自分の勝ちパターンから外れた新たな勝ちパターンづくり,つまり創造的な挑戦,が必要になる。ただ,創造的な挑戦には,感情を伴う事前研究(他者の実際の対局を,その場で見る,感情移入する)が必要。さらに,いつでもできるわけではなく,そのときの自分の調子や,流れの中で,そのチャンスが来るとも言える。一手一手の判断はもちろん,創造的な挑戦をするかしないか,そのとき必要になるのが決断力であり,主に大局観と感性とからなるものだ。

 また,そのチャンスを築くための前提となる考え方として,<人は必ずミスをする><Keep it simple,Stupid=KISSアプローチ><勝つのは1点差でいい><将棋は相手や周囲と共同で制作するもの><自分で考えたこと=決まりきった事(≠定跡)><ただ知らないことで負けることもあるという恐怖>などがある。」

 このように見ると,羽生さんが負けるとき,あえて目先の勝ちを優先しなかったのではないか,「わからなかった」というときは,勝ったけれど(羽生さんの中では)決まりきった事ではなかった,などのように見ることもできそう。奥が深いです。羽生将棋。。。そして,超一流の方々というのは,そんな奥の深さがあるのだ,と思います。


20180105

「世界でもっとも貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉」 

佐藤 美由紀 著

 

<概要>

 「もっとも衝撃的なスピーチ」として有名になった,リオで開催された世界の貧困・資源・環境に関する国連2012会議でのウルグアイ元大統領ホセ・ムヒカのスピーチとそのポイント。

「優先されるのは,政治ではなく,一人ひとりの幸せだ。幸せとは,足るを知り,その上で必要なものがそろっていて,時間的に自由であるということ。つまり目指すべきは,ここで定義される幸せの観点で,格差のない社会だ。だから,持つ者が持たざる者に与えるのは,持つ者の義務である。現代社会は消費第一主義で,判断基準がすべてモノ・カネになってしまっている。一人ひとりの幸せのためには,消費第一主義は,見直すべき社会システムであり,政治課題である」

 

 

<ひと言コメント>

 AI時代の考え方

 

 2017年,AIはある意味で流行語となりました。日々新聞をチェックしていますが,AIという単語が出ていない日はなかったのではないかと思います。単なるIT化すらAIと呼ばれているのはご愛敬として(苦笑),それだけ「AI」という単語は時代の言葉なのでしょう。では,なぜこれだけAIが叫ばれるか,と言えば,先進諸国が基本例外なく高齢社会に突入,労働力不足が目に見える課題になっているからでしょう。AIに限らず,ロボットなども含めたITが,労働力不足を補う手段として有効であると考えられている,ということです。しかし,労働力不足は,やがてなくなるでしょう。そう,多くの仕事がAI・ロボットに置き換わるのですから。また,「AI・ロボット社会が生んだ富をどう分配するのか?」も,一時は非常に大きな課題になるでしょうが,これもやがて解消されるでしょう。ベーシックインカムなどの発想も出てくるのですから。では,そのとき私たちはどうするのか? 何をするのか? 

 一人ひとりが「生まれてきた意味」を,改めて考えるときが来ているように感じます。働かされることから解放されるとき,カネを稼ぐということから解放されたとき,何をするのか? 最悪のシナリオは,H.G.ウェルズの「タイムマシン」の世界のように思います。


20171222

「ナショナリズム入門」  植村 和秀 著

 

<概要>

 誤解されることもあるナショナリズムの本来のとらえ方と,「ナショナリズム=ネイション+イズム」とした場合の「ネイション」の形成パターンと課題

「ナショナリズムとは,本来ネイションへの肯定的なこだわりである。そもそもネイションとは,<何らかのまとまりを持つ人間集団+空っぽの袋のようなもの>であり,形成される際に,土地・形成の歴史があること・広い認知という<自明性>,人間集団単位・地域単位という<2つパターン>があり,また,形成される際には何らかの<せめぎ合い>がある。人間集団単位のネイション形成例には独やユーゴ,地域単位のネイション形成例には米・中南米・仏・伊・英がある。現在でも<せめぎ合い・が見られるのは,ロシア・トルコ・アラブ諸国などがあるが,近代化過渡期にナショナリズムは盛り上がる,という仮説もある。王政国家から近代国家への大きな流れと,近代国家とネイションの相性の良さとがあるからで,それは大衆のネイション化(=大衆がネイションを担う)へとつながる。ただそれが行き過ぎると,人がネイションにすがるようになり,世界の分裂,という課題を引き起こす。だから,そのブレーキ役としてネイションから独立した,自由主義的な政治が必要になる」

 

 

<ひと言コメント>

 ナショナリズムの暴走,というより,ネイションをコントロールする政治の暴走

 

 所属の欲求は,マズローの5段階欲求説でも明示されている人の基本的な欲求です。その意味で,国に所属している,ということは,強烈な安心感と所属感を与えているもの,と言えるでしょう。想像してみてください,仮に所属していなかった,つまり,国籍がないとしたら,日本に住む同じ人間なのにあらゆる公的サービスを受けられないという不条理を目の当たりにするのです。これは強烈な疎外感に包まれることでしょう。国に所属するというその権利を得たからには,その権利を行使し続けるなら,義務を果たす必要がある,ということでしょう。

ただ,人というものは,「当たり前のこと」を,なかなか意識できません。それが「権利の暴走」とでも言う状態を引き起こす可能性がある。だから,そのことを一人ひとりが意識させる,あるいは,全体を抑制する機能が必要で,それが「大きな政治の役割の一つ」ということになるのでしょう。

 翻って2017年,ネイションをコントロールする役割を持つ政治は,機能したのでしょうか? うーん・・・多くの国際な問題,対立,危機は,政治レベルでの「暴走」が原因と言えなくもないような・・・。同じことは,企業や組織にも当てはまるでしょう。

 解決法の一つは,私たち一人ひとりが,「当たり前」になってしまっていること,つまり,なかなか意識できないことを考えること,なのでしょう。「当たり前を失ったら」「普通がなくなったら」・・・,そんな想像力を働かせることが大切なのだろう,と思います。時間の流れの速い現代,なかなか難しいですけれど,それがこれからの私たちの義務のような,そんな気がします。 


20171215

「お金に学ぶ: 東大で教えた社会人学」 草間 俊介,畑村 洋太郎 著

 

<概要>

お金からの視点で人間活動を考えよう,とする,筆者の東大での講義をまとめたもの。

「お金は,その哲学がないと使われる。行動を通じた軸づくりがまずは必要となる。人は生きる上で必要な経済活動をしているが,公的保険も含め,必ずしも自分が貯めた分だけで生きているわけではない。必要となるお金を稼ぐには,労働か投資しかない。<稼ぐ>には,自分の能力を見極め,どんな社会的貢献ができるか考える必要がある。<投資>は,自分への投資が最もリターンが大きい。<借りる>ときは,返せる見通しをもつべき。<貯める・備える>ときは,万が一を基準に考える。<もらう>ことができる社会保障は,資格があるなら堂々と申請すべき。<増やす>ことを考えるなら,投機でない年率3~5%までを目安にすること。当然,自分のことだけでなく,日本が使っているお金の基本的なものは押さえておくべきだ。たとえば,国家予算,GDP,防衛費,社会保障費,税収など。さらに,日本は1兆2千億USドルの債権国で,財政破綻の可能性は低いが,その万が一の時,どんなことが起きそうか,想定しておくことは必要だ」

 

 

<ひと言コメント>

 お金を稼いで・使って・投資して,何より社会に還元する,ということ

 

 人が生きていく上で,お金は必要です。であるにも関わらず,ビジネス上の話はともかく,個人のこととしてお金の話をすることに抵抗がある方が,日本では多いように思います。かく言う私も,お金の話をすることに抵抗があった一人。私腹を肥やすというような言葉,脱税,マネーロンダリングなど,お金の誤った使い方をする人がいるから,(と他人のせいにしてはいけませんが(汗)),そんな印象を持ってしまっていた部分があります。

 でも,お金を稼ぐことを目指すことは決して悪いことではなく,個人にとっても社会にとってもむしろ良いことでしょう。お金を稼ぐと,税金という形で徴収され,社会に還元されていきます。その額が高額であるほど,所得税率も高く,還元される額も大きくなる。投資も同様で,投資で利益が出ても,課税されるわけですから,利益を出せれば出せるほど社会に貢献できるわけです。特に投資というものは,相応のリスクを払ってお金を使っている上,利益が出れば,いくらかは社会に貢献できる。お金というものは,その利便性から,時空を超えることも可能ですから,社会への貢献の幅を格段に広げられるわけです。その意味で,「大金をつかむこと自体を夢にすること」自体に,何ら問題はないでしょうし,むしろ積極的であるべき,と言えるでしょう。

 一方で,問題になるのは,その大金のつかみ方,と,その後の使い方。本書では「お金に対する哲学を持て」と指摘しています。まったくその通り,でしょう。だからこそ,自分の中で「そもそもお金とは何か?」と考えることが大切だ,と言えるのかもしれません。あまり考えないような気がしますもんね,「そもそもお金って何?」なんて・・・(苦笑)。


20171208

「日本辺境論」 内田 樹 著

 

<概要>

日本人は,日本人特有で,かつ日本人に共通する「メガネ」を通じて世界を見ている。その「メガネ」は,日本の辺境性から生まれている。功罪あるが,それを自覚し,世界の出来事を世界基準で見られるように補正せよ,とする論。

「日本人は,相対・対比でしか語れず,また,<場の空気=それまでに形成されたもの>に縛られ意思決定する。ビッグピクチャーを主体として描くことにも不慣れ。それらは,日本の辺境性が作りだしている,と言える。

学びは,思考を問わない<受け入れ型>が基本。他人が考えたことを自分が考えたことのようにそのまま受け入れられるため,学びの効率は高い一方,自分で考えていないため,落としどころを探れない。敵を作らないような動き方が多く,<機を見る>といった時間意識も,主体的でないことを表している。また,日本語にも,<主語が明確でない>といった,日本の辺境性が生み出す特徴が見られる。そんな日本の特徴と,日本人だから持つ「バイアス」を意識し,そのバイアスを補正することを意識して,世界と接することが必要だ」

 

 

<ひと言コメント>

「表裏一体」が「核」となり,あらゆるものを創造している

 

 コインと紙幣には表と裏があり,お金としての価値を創り出しています。その価値とは,たとえば,お金で物を買えるということ,貯蓄で将来への不安を軽減するということ,お金を持つということでの社会的なステータスや憧れを得られるということ・・・。ただ,コインも紙幣も,その表だけ,裏だけ,では,その本質的な価値を創り出すことはできません。そのことに私たちは無自覚でしょう。

 著者は日本の「表と裏」の理由を,「日本の辺境性」に求めています。日本の辺境性が,日本の「表裏一体の核」を創り出し,固有の価値観を生んでいる・・・。「日本には,良い面も悪い面もある(悪い面として強調していそうな気もしますが・・・苦笑)。ただ,その悪いと言われる面だけを取り上げて修正しようとするアプローチには無理がありそう。それは表裏一体であり,核だから。それでもグローバル社会で生き抜く必要があるのなら,せめて<日本独自の価値観があること=表裏一体の核があること>に無自覚になるな・・・」と。お金の話と全く同じ,と言えそうですね。

 同じように考えると,日本で起きる様々な社会現象,たとえば,話題となることや,論調なども,「日本」というバイアスがかかっていると「自覚する」必要がある,ということでしょう。自覚をすることが,「考える」という「創造的な行動」の出発点ということなのかもしれません。


20171201

「アイデアのつくり方」 ジェームス W.ヤング 著

 

<概要>

アイデアをどう手に入れるか? という質問に対する一つの公式・技術

「アイデアは,才能を持つ一部の人たちの独占物ではない。広告アイデアをつくる方法はある。学ぶべきはどんな技術も共通するが,アイデアの場合も同じ。それは,「2つの原理」と「その方法」だ。

2つの原理とは,アイデアは1つの新しい組み合わせだ,ということと,それを作り出す才能は事物の関連性を見つけ出す才能によって高められる,ということ。

アイデアを手に入れるための方法は,5つのステップを踏む,ということだ。5つのステップとは,資料収集,心の消化,無意識にまかせる,突如訪れるときをつかむ,生まれたアイデアを他人に話し批判を仰ぐ,というものだ」

 

 

<ひと言コメント>

本気になる,ということ

 

 アイデア,は,何をやるにも必要です。モノをつくる・サービスをつくるだけでなく,人を動かすことなども含めたしくみをつくるにしても。その意味で,誰もが必要とする力,が,アイデアをつくる力,と言えそうです。筆者によれば,その方法は非常にシンプル。だから,本当に薄い本,です(笑)。

 ただ,ここで言われていることは,本気でやらないと非常に難しい,です。実体験も含めた本気の情報収集,本気の試行錯誤をした人だけに,その時はやってくる,とも言えます。加えて,本書を深いところで理解し,自分のものにするには,少しポイントがありそうです。それは,「初めて見たり,初めて感動するかのように思われる角度や速度で見せること。これが人間に許された唯一の創造である」(ジャン・コクトー)という言葉が示すこと。つまり,同じものでも違う見方をする,ということ。ものは高いところから低いところに向かっていきます。強いものが生き残るのではなく適応したものが生き残ります。これらは抗いようがありません。しかし,多くの「常識」とされているものは,抗えないものなのか? つまり,常識と呼ばれているものの多くが,時や場所,それを評価する人やその視点によっては,決して当たり前のことではない・・・,と,そんな見方をする,ということです(私は,自分も含めて,みんながハッピー,という視点で行きたいのですが・・・)。

 そう考えると,ここで言われる「資料収集」だけをとっても,言葉の定義から,使われ方から,何から何まで収集が必要なわけで,また,心の消化と表現されている「シナリオ化」にあたる部分は,それこそ何通りも考えられるわけですから,半端な気持ちでやれるものではありません。その意味で,アイデアを出すというのは,本気になること,とも言えるのではないでしょうか(って,「本気」という言葉にしたって,経験されたことも含め,受け取り方は人それぞれでしょうけど・・・苦笑)


20171124

「顧客はサービスを買っている」 諏訪 良武 著

 

<概要>

生産性向上に向け「サービス」を変革するための「サービスサイエンス」の利用とその実例

「現在のサービス業は日本のGDP70%を生んでいるが生産性は低い。それは,サービスとは,顧客との共同作業で,1:1対応だからだ,と言われている。だが,実際にはサービスにも基本はある。

サービスは顧客の事前期待を越えたとき独自なものになる。つまり,顧客を事前期待ごとにセグメント化するという発想が必要。その上で,提供するサービスを事前期待ごとに要素分解,組み合わせれば,独自のサービスを開発することができる,ということだ。また,自社サービスの差別化ポイントを「分類」し,サービスプロセスを「分解」,議論のベースにもなるビジネスの「モデル化」をしていく,ということで,効率化追及できる。つまり,サービスサイエンスの視点からアプローチすれば,競合との差別化+高収益・安定事業化で生産性向上が可能だ,ということだ。実際,オムロンフィールドエンジニアリングは,これで自社サービスの生産性向上を実現している」

 

 

<ひと言コメント>

 分割,と,統合

 

 第4次安倍政権の2本柱は,「人づくり革命」と「生産性革命」です。以前,安倍首相も指摘しているとおり,日本のサービス産業の生産性は,製造業に比較して,また,国際的な水準という面でも低い状況にあります。生産性というと,どうも効率化に視点が集まる傾向があるようですが,実際には,対価がもらえない,という実態があるわけです。日本のサービスの質は非常に高いと言われているのに,です。

 そんな生産性の低いと言われる日本のサービス業。その原因は大きく3つあるように思います。1つは,無料やお得といった,サービスという言葉に対する印象。2つ目は,既に質の高いサービスが提供されていることによる独自性の薄さ。そして,やはり最後は,サービス自体の稼ぐ力の低さ,です。「サービス=労働集約型中心,1:1対応」と,言い換えることができるかもしれません。

 ただ,最後の点は,「多様化」が叫ばれる時代だからこそ,大きな変革の可能性を感じます。それは,陳腐な言い方をすれば,「ニーズの個別化」,ただし,プラットフォームとセットにしたもの,です。個別化だけでは,恐らく大した価値の向上につながらないでしょう。個別化したサービスを支えるプラットフォームをつくり,プラットフォームへの価値を高めるというアプローチです。私自身は,教育の分野でそれが可能なのではないか,と考えています。具体的には・・・それは言ったらダメでしょう。私のアイデアだもん(笑)。とはいえ,それを考えるとき,本書が指摘するような「サービスサイエンスのアプローチ」は,サービスの生産性を上げるベースとして必要,ととらえています。「ビジネスプロセスをちゃんと書けるか?」という問題があるのですが・・・(苦笑)


20171117

「先送りできない日本」 池上 彰 著

 

<概要>

日本には誇りと自信を持てる力が備わっている。潮目が変わった今だから,課題を先送りすることなく解決に向かおうという提案。

「債務はいつか返すもの。人口減で歳入が減ることを考えれば,グローバル展開しかない。

グローバル化の本質とは,自由貿易と価格競争だ。工業製品に関税撤廃させるなら,農作物に関税はかけられない。つまり,TPPの参画は日本の農業に変革を求められる。韓国はFTAの道を選択しているが,その自由貿易主義は,通貨危機と市場の小ささが牽引したもので,日本の場合はTPP参加の方が全体での利幅が大きい。中国とは,経済主導で付き合えば,政治対立を緩和する。

また,グローバル展開上の日本の課題は,日本製品が,良い言い方をすれば高品質化している,悪い言い方をすれば国内市場向けにガラパゴス化していることだ。また,トップセールスが不足している。材料を出し尽くして,政治判断として主導することが必要だ」

 

 

<ひと言コメント>

独自であること,は,武器である

 

 「失われた20年(30年?)」。日本の「今」については,多くの方が指摘されている通り,ですが,基本的に長らく変わっていないと言うことができます。人口減少・高齢社会と社会保障費拡大を含む財政規律,世界的な環境課題と今後のエネルギー・食料問題・・・。ただ,長らく課題が変わらないおかげで(?),解決したい課題を明確にもできたし,課題そのものを考える時間も,勉強する時間もあった,と言えるでしょう。

 私はサラリーパーソン時代,とある大変お世話になった先輩に「将来に禍根を残すような仕事だけは絶対するな」との思想・信念を植え付けられてきました。私の言う「自分ファースト」とは,そういうこと,です。つまり,「自分のできることを精一杯やることで,社会に貢献する」ということ。以前,この場でも紹介した,夏目漱石の「私の個人主義」にも,大きな影響を受けています。日本の政治の「ツケの先送り」は,この姿勢とは対立するようですが・・・(苦笑)。

 本書によれば,日本の独自性は,世界の称賛の対象となっている「日本人らしさ」。もちろん,「大量であること」も,一つの独自性であり武器ではあるでしょう。いずれにしても,独自性が武器になる,ということ。国レベルで言えることは,企業でもあてはまるでしょうし,当然個人にもあてはまるでしょう。つまり,「自分らしさ=自分ファースト」で社会の課題解決に貢献するということ,であり,「自分らしさ=自分ファースト」なら,社会の課題解決に貢献できるということ,です。このときの課題も国を参考にすることができます。本書の指摘で言うなら,「高品質すぎ=(課題解決には)不要な機能がつき過ぎ」,「セールスの不足」。このような指摘を参考に,自分を磨く・・・,そんな在り方が大切な時代ともいえるのではないでしょうか。


20171110

「「天才」は学校で育たない」 汐見 稔幸 著

 

<概要>

 現状の学校教育の限界と,今と将来を踏まえた子供の将来像と学びの場・教育内容の提案,新たに策定された「教育機会確保法」とは?

「① これからは多様化の時代。また,少子高齢・人口減少社会であり,環境問題などのグローバルな社会問題を解決する必要がある。そのような問題を解決できる,ある意味では「天才」を生み出せる教育が必要。

② これまでの教育は,科学技術の発展と生産力向上が幸せになることと結びつく,という価値観の下でのもので,勉強することの意味がわかりやすかった。しかし,社会が劇的に変化する時代であることを考えれば,制度としての限界を迎えている。

③ これから必要になるのは,孔子・釈迦・ソクラテスとプラトン・イエスやルソーに代表される「信頼関係の上で成り立つ,師弟関係の下での教育」を現代化したもの。学習指導要領の次期改定では,社会で必要とされ,かつ,育成する資質・能力を,「1.個別知:知識・技能,思考力・判断力・表現力等」,「2.実践知:学びに向かう力・人間性等」,「3.人格知:大切なことは自ら学び他者との関係を築くことで自分の理解を深めること」としている。その意味で,社会の変化に対応していると言える。また,指導法として,豊かなInput(パッシブラーニング)を土台とする「アクティブラーニング」を推奨している点も重要。

④ また,学校を休んでよい(フリースクールなどで学ぶのでも良い)・自治体とフリースクールが連携すること,が2大ポイントとなっている「教育機会確保法」が,制定された。

⑤ いずれも運用面を中心に,まだまだ改善の余地はある。しかし,個人を育成する教育と,公人・市民を育成するための教育との両立を目指すのが教育だ,という,事の本質に近づく重要な第一歩を踏み出した,と言うことはできる」

 

 

<ひと言コメント>

個人としてのなりたい,と,社会が求める公人としてのならせたい,との両立

 

 第4次安倍政権の2本柱の1つに「人づくり革命」があります。「人づくり」と言えば,単純に「教育」を連想します。本書は,そんな教育の本質と今後の在り方について,特に幼児教育を中心に踏み込み,解説した1冊と言えるでしょう。

 少しわかりづらいのですが,著者は,

「1)「InputからOutputに至るプロセス(=認識すること)」は,一人ひとり違いがあり,それが個性である」ので,

「2)この個々の認識の仕方に着目し,それに合わせて指導をすること」が,知識を含めた技能・実践力・対人能力の育成に有効で,その結果として

「3)その認識の仕方自体が,社会問題を解決するうえでも,なりたい自分になるためにも欠かせない,個人の強みになる」

と指摘し,またそうだとすれば,学齢期の教育は,いわゆる学校教育に限定される必要はない,としています(と私は解釈しています)。

 これは,既存の学校教育とでは,教育することの目的も,指導法も,結果育成されるだろう能力も,全く異なる教育だ,と言えます。このような教育は,幼児教育を含む学校教育だけに当てはまる話ではなく,社会に出てからの企業内での教育などにも必要なのではないでしょうか。


20171103

「自閉症感覚」 テンプル・グランディン 著

 

<概要>

自閉症スペクトラム障害」をお持ちの方の持つ感覚と,その方々が社会で生き抜くための能力の伸ばし方・感覚の生かし方

「①自閉症スペクトラム障害とは,脳の「言語表現・意思伝達」「社交スキル」「感覚」「行動」の4つの主要な部位に影響を与える発達障害の1つ。五感のいずれかが過度に反応したり,逆にほとんど反応しなかったり,ということが起きている。

②同じ病名でも,症状も程度も人それぞれ,バラバラ。ただ,その結果として,言葉などに遅れが出たり,問題行動につながったりなどのことが起きる場合もあり,一方で,非常に優れた能力を発揮することもある。

③だから,目標を,世の中で生きていくのに必要な勉強や対人関係スキルを学び,能力を最大限まで生かすこと,と置くことが重要。強みに着目して能力を伸ばせば,問題行動に対応できるだけでなく,社会で大いに活躍できる可能性も広がる。

④その際最も重要なのは,教育の仕方。自閉症スペクトラム障害を持つ方には,3つの基本的な思考パターン(視覚思考,音楽・数学思考,言葉による論理思考)があるから,一人ひとりの基本的な思考のパターンに合わせた方法で教えることだ。」

 

 

<ひと言コメント>

人それぞれの思考パターン・認知パターンを生かす教育

 

 誤解を恐れずに言うなら,これまでの教育というものは,「全員ができるようになる」という内容が決められ,同じ方法で指導されてきた,と言えるのではないでしょうか? その典型は,学習指導要領と,それを体現した(とされる)教科書,です。もちろんこの方法は,労働集約型・大量生産・効率重視の時代の教育としては優れたものだったかもしれません。が,今の時代,もう限界なのでは? 必要とされる能力が明らかに変わっているでしょう。あまりに高度化し,あまりに分業化され過ぎてしまっています。内容面から見ていってしまったら,「どれだけ勉強することがあるの?」 状態です。みなさん,子どもの頃,そして今も,そんなに勉強好きでしたっけ?(苦笑)

 内容面よりむしろ,「やり方」を学べる教育,学ばせる教育,にシフトすべきでしょう。ある程度どんな分野でも「このやり方なら力をつけられる」という自分のやり方を見つけられる教育です。そのやり方は,それほど多くはないように思います。人それぞれ,「得意な思考パターン・認知パターン」があるはずだから,です。その得意な思考パターン・認知パターンを伸ばせる教材であり,教授法。。。

 これは何も学校教育に限った話ではありません。企業内教育なども同様です。ただ,この整備は,誰でもできることではないでしょうねえ・・・。


20171026

「日本国憲法」 

 

権力への不信を前提とし,中核をなす原理として基本的人権の尊重・国民主権・平和主義が挙げられる,「個人の尊厳(≒個々の人間の幸福)」の達成を目的とする,11章103条から成る日本の最高法規。

「① 人権規定:生命・自由・幸福追求権などの包括的自由権,法の下の平等,思想・良心の自由・信教の自由・学問の自由・表現の自由などを定める精神的自由,職業選択の自由や財産権の保障などの経済的自由,不当な身柄拘束や拷問などの禁止を定める人身の自由,国に行為や制度整備などを求める受益権,生存権・教育を受ける権利・労働基本権などの社会権,普通選挙・平等選挙・自由選挙・秘密選挙・憲法改正に認められる直接選挙の五つの要件を定める参政権の保障

②統治規定:三権分立と財政・地方自治を定める

③憲法保障:憲法秩序の存続・安定と改正における直接選挙権を定める」

 

 

<ひと言コメント>

私たちを守るもの,を,理解するということ

 

 先の衆院選の結果を受けて,憲法改正の議論が始まるとの見方が強まっています。「ナゼ?」については,「アメリカ(?)に押し付けられた憲法だから」とする意見もあるようですが,そうとばかりも言えないでしょう。そして,「ナゼ」を議論するよりも「現行憲法の有用性議論した方がはるかに建設的」なように思います。現行憲法の理念の下では,私たちは幸せを追求できないのか? あるいは,子孫世代も含めて,より幸せになることを目指すとき,何か不具合があるのか? 

 憲法はその性質上,権力の監視機能の役割を持ちます。憲法にそぐわない法律や行政に対しては,国会及び内閣が適切な対応をせねばならないですし,それが不適切であれば,司法は違法・違憲の判断を下さねばならないから。つまり,お目付け役とも言える憲法を変えるという権力を持つ側からの提案は,それによって権力を持つ層にどんなメリットがあるのかをよくよく吟味する必要があるということです。どうも9条ばかりに焦点が当たりがち,ですが,そうではないのです。

 私自身は改憲には賛成です。ただそれは,古めかしさが隠せない文言の修正と,わかりやすさなどの補完をする,という意味で,です。わかりやすさを求めると,必然的に解釈の差などの問題が浮き彫りになると考えるから,です。ごまかすのではなく,そんなステップを踏んで,本当の理解を促すことが必要なのでは? と思うのですが,いかがでしょうか? 


20171020

「コモン・センス」 トーマス・ペイン 著

 

<概要>

 アメリカ独立前に大衆に向けられた「アメリカはイギリスから独立すべきだ」とする主張とその啓蒙書であり,植民地解放の理念を説いた世界初の書

「長い間の習慣は,物事を表面上正しいことのように見せるが,イギリスによるアメリカの植民地支配こそがそれにあたる。差し迫った必要から当時は便宜上イギリスの植民地となったが,それは正当なものではない。イギリスが敷いている王政は,最初に権力を持った者が以降勝手に振る舞えるという意味でばかばかしいものだ。大衆とかけ離れた権力者が,手に入れた富で圧制を行っており,かつ,世襲制の弊害を重ねている。イギリスが自国のためにアメリカを守っているに過ぎないことは,自国の戦費膨張問題をアメリカに押し付けたことに端を欲するボストンでの虐殺事件などを見れば明らかだ。また,イギリス配下にある限り,欧州の他国と中立的な関係を結ぶことができず,貿易など経済的な利益も含め,十分な利益が得られない。法を国王とし,宗教の自由を保障,各州がそれぞれの代表者を出し,かつ順番に中央議会の議長になる平等な政府の下,アメリカをつくるべきだ。団結しさえすれば,それを果たすだけの力が既にある。子孫へ禍根を残さないためにも今こそ独立すべきだ」

 

 

<ひと言コメント>

「習慣」の悪癖を見つめる

 

 本書はアメリカ独立戦争と時を同じにして刊行されたもので,本書があったからアメリカが独立戦争に至ったというわけではないようです。とはいえ,ここに書かれていることは,「植民地解放の理念を説いた世界初の書」と言われるよう,世界各国で読まれ,フランス革命など各国の動向にも大きな影響を与えているそうです。

 さてそこで,これを今の日本という国に当てはめて読むとどうなるか? イギリスを仮にアメリカに,アメリカを日本に置き換え読むとどんなことが起きるのか? これはかなり大仰な政治思想になりそうです。残念ながら(?),私はそれを展開するだけの力を持ち合わせていませんし,それを言いたいわけでもありません。

 本書からの学びとして言いたいことは,「今の状態が当たり前と思っていることに疑問を持つ」ということが,国がどうとかとは関係のない,個人の生活の中でも考えるべき教訓なのではないか,ということです。世の中の動きと重ねるなら,たとえば,AIという強烈な強みを持ったモノの登場で,今は当たり前のようになっている「ジェネラリスト型の人材の相対的な価値が低下するのではないか」「ジェネラリスト型人材を育成するような教育システムは限界に近づいているのではないか」,むしろ,「強みや弱みに特化した教育システムの方が当たり前なのではないか」というような発想をすることです。その発想が正解かどうかではなく,そんな発想を数多くすることが,実は自分を向上させる近道のような気がしています。


20171013

「予想どおりに不合理」 ダン・アリエリー 著

 

<概要>

人間は,必ずしも合理的な判断の下で行動するわけではない,との前提に立った人間行動の原理

「①人間は相対的な優劣で価値判断する:最初に設定された基準でモノを見る,無料は悪い面を帳消しにする,人は社会規範と市場規範の2つの世界に住むがその価値観が両立することはない

②判断がブレる要素:感情が昂ると判断が変わる,選択肢を残したがる・先延ばししたがる,失うことを過大評価する

③キーは信用:人は誰もが自分のメガネ(経験)を通してモノを見る,割引されるほど品質を疑う,みんなが協力するほど信用は増す,不正は現金から少し離れたところで行われる」

 

 

<ひと言コメント>

理性と感情の間で

 

 「論理的にこうだ」といくら説明しても納得してもらえなかった,という経験はありませんか? 一方で,説明の質に関係なく,納得してもらえた経験は? もちろん,実際に説明するまでの過程が影響することがあったのかもしれません。また,説明する相手側に,その機会を教育の場にしようとか,けなす場にしようとか,様々な思惑があったのかもしれません。でももしかするとその理由は,行動経済学上の問題で引き起こされたのかもしれない。「人間が共通で持つ心理的なクセ」が,その時々の判断に影響を与える可能性がある・・・。この事実は,覚えておいた方が良いように思います。あえてケンカを売りつつ物事を進めるより,自分の生産性は確実に上がるはず,ですから。

 考えてみたのですが,「負けるが勝ち」とか,「肉を切らせて骨を断つ」をきちんと説明しようとすると,「本当に実現したいことがあるときは,途中の過程では譲ることも必要よ」ということなのでは? そうだったとしても,「筋を通すこと」を重視したいんですよね・・・私は。。。(苦笑)


20171007

「誰が「働き方改革」を邪魔するのか?」 中村 東吾 著

 

労働力減少社会という日本の課題解決の最善策は,女性・高齢者・障害者などのこれまでの労働弱者の活用だ,とする主張と,労働弱者が生み出される背景・解決策の提案

「① 労働弱者は,頭脳(経営者)と手足(従業員)の分離,という,過去の日本企業の成長のあり方によって生まれたもの,で,これまで虐げられてきた存在

②これまで従業員は,経営者の大きな方針の下で動けば幸せになれた。一方でそのやり方が,規格外をはじく業務設計やそれを強いる環境,労働集約型生産の根本にある一般常識の蔓延など,国や社会や企業のしくみを作り上げてしまった

③労働力減少社会では,これまで虐げられてきた労働弱者の活用が必須になる。つまり,これまでのしくみを打ち破ることが必要だ

④実際,資生堂,三井物産,丸井の取り組みや,国が推進する働き方改革など,既存のしくみを打破する動きも出てきている

⑤グーグルのPJでも,これまで信じられてきたしくみではなく,心理的安全性を担保している組織が成果を出すことが明らかになっている

⑥これからの個人は,実は労働弱者が既にわきまえていること,つまり,自分の求める環境と提供できる能力の見極め,と,交渉力が必要になる」

 

 

<ひと言コメント>

自分を見極める

 

 何かを判断するとき,「周囲を見ながら」「空気を読んで」判断する,というのはよくあることです。ただ,これは「意識の画一化」と言い換えられるのでは? 圧倒的な「人気」というものの本質は,この「意識の画一化」なのかもしれません。「同じ面に意識を向けさせる」ことで,同じ方向に誘導する・・・それは,集団の中で自分の居場所を見つけようと欲求を逆手に取って,無用な衝突を避ける本能を利用するやり口とも言えそうです。

 もちろん,効率化重視で生産性を上げようとする場合,つまり,それが人々の幸せにつながる時代においては,とても良いやり方だった,と言えるのでしょう。言葉悪く言えば,「だましていても」人々が幸せに向かえたのですから。ただ,OUTPUT重視で生産性を上げようとする場合,そのやり口で人々を幸せにできるのか? 

自分を見極めること,これが,これからの時代のキーのように思います。